ヒマをみつけてWeb開発
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GREE、モバゲーが提供しているものにある価値

Wednesday, 15 September 2010 07:26 by sabro

モバゲーをけなす30代男性を見て思うこと
http://blogs.itmedia.co.jp/fukuyuki/2010/09/30-d031.html

このエントリーに対する批判がすごいことになっている。ただ、批判コメントがどれも感情的で、モバゲー、GREEはダメな会社であるという結論ありきなものが多いと感じる。

なぜ感情的に批判してしまうのか

コメントやブコメでの批判は明らかに的はずれなものが多い。

批判1
「大人は新しいものを全て否定していない、TwitterやiPhone等いいものは理解している」

ブログ主は、若者に向けて造られたコンテンツのことを語っているのに、明らかに小、中学生に向けたものではないものを例にあげて反論している。

批判2
「モバゲー、GREEには新しい要素が何もない」

ソーシャルにつながれるゲームは高スペックのPCや、ネットに繋がったXBoxなど、小中学生が簡単には手に入れられない環境でしかプレイ出来なかった。小中学生が8割型もってる機器で、全国的にソーシャルにつながれるゲームが出たのは初のこと。若者の大半にとっては、まったく新しいもの。

どうも、GREE、モバゲーはとにかくダメという結論ありきで感情的に書いてあるものがほとんどだった。なぜ感情的に批判してしまったのか。

たぶん、2000円の折れる釣竿とか、どうみても価値のないデジタルデータを、世の中をよくわかってない人を騙して売りつけるやり方が気に食わないとか、そんな理由なんじゃないかと思う。

そのデータには本当に価値がないのか

となりのトトロという映画がある。もう公開から20年以上が経っているが未だにDVDが売れているという、すさまじい映画である。なんでも、子供のころにトトロを見て育った世代が、大人になって、自分の子供に見せるために買っているそうだ。

トトロ

説明不要だと思うが、映画に出てくるトトロは、子供にしか見えないという設定。子供の純粋な心でしか見れないもの、分からないものがあるという主題なのだと思う。大人には価値が分からなくても、子供にとって大切なものというのはあるものだ。私は子供のころビックリマンシールを集めていたが、父親に無理やり焼却処分されてしまったことがあり、トラウマになっている。僕にとっては、大切だったのに分かってもらえなかった。

トトロを子供に買ってあげる大人は、今の子供の純真な気持ちを大切にしてほしいと思って買うのだと思う。しかし、子どもが純真な気持ちで価値を見出した釣りゲーの魚たちの価値は認めない。子供社会の中では、すごく価値があるのかもしれないのに・・・。それとも、モバゲー、GREEを批判する人は、トトロにも現実を見ろと批判するのだろうか。

もうひとつ、作品を挙げよう。

電脳コイル

上記画像は、電脳コイル24話「メガネを捨てる子供たち」のヒトコマである。電脳メガネをかけると見える「デンスケ」という犬を失って、失意の中にいる主人公ヤサコに対し、母親は「触れるもの、温かいものが、信じられるものなの」と悟し、現実の生きている世界に戻ってきなさいと説得する。これは、大人の視点から見れば正しい論理である。大人になって、実際の社会を動かす立場になると、しょせん仮想のデータというのは偽物であり、それよりは実際の現実こそがすべてとなるのは当たり前の話だ。

しかし、その当たり前が子供にとっては当たり前ではない。この後、ヤサコはデンスケがたとえデジタルデータだったとしても、自分が感じているこの気持ちは本物と悟り行動を起こす。大人と違い、実際の社会を担っていない子供には、また違った価値観がある。たかが一ゲーム会社が作ったデジタルデータであったとしても、それが、実社会ではなんの価値もないものであったとしても、そのデータが会社の儲けのために造られたものであったとしても、それは、子供の社会ではとても大事なモノなのかもしれない。

若者、情弱が騙されている?

GREE、モバゲーが若者や、情弱を騙しているとの指摘がある。若者が大きくなり、GREE、モバゲーのビジネスモデルに気づいたとき騙されたと思って恨んだり、怒ったりするだろうか?

私は小さい頃にビックリマンを集めていたことはさっき話したが、なぜかロッテに対して怨みや、怒りの感情はない。それは多分、あの頃の自分にとっては価値のあるものを提供してくれていたからだ。大人が、自分にとって実感の湧かない実社会のことを押し付けてくる中、本当に当時の自分がほしいものを提供してくれていた。

もちろん、大人になった今の自分は、実社会に役立つことの方が大切だと分かるが、それを子供の頃に押し付けられても仕方がない。単に、子供心に欲しいものを抑圧しつつ、実社会に役立つことをやりたいフリをしながら生きていくだけだろう。大人になったら分かることは、大人にならないと分からないのだ。

ソーシャルが提供する価値

まだ働く年代になっていない若者は、自分が社会に貢献するチャンスが少ないので、自分の生きる価値を実感しづらく、そこを友達からの承認で埋めていく必要がある。そこで、GREE、モバゲーのソーシャルの部分が生きてくる。「俺はこんな珍しい魚もってるぞ」「俺はあのゲーム全国◯位だぜ」。しょうもないというかもしれないが、実は子供の生きる支えになっているケースもあるのではないか。

人間は、最終的には、社会に貢献することで自分の生きる価値を見出すべきだろう。だが、3歳児に、おまえは明日から社会に貢献して生きるのだといっても、それはムリという話だ。成長には適切な段階がある。20、30にもなって、仮想のデータでしか自分の価値を見いだせないのもどうかと思うが、小中学生の場合は、仕方ない部分もあるのではないだろうか。

まとめ

実際に遊んでいる若者がいいと言ってるんだから、子供とっては価値はあるのだろう。それを大人が大人の感覚、大人の理論で批判してもしょうがない。あれだけ受け入れられてるということは、それだけ子供にとって欲しい物をGREE、モバゲーが真剣に考えているということなのだ。