ヒマをみつけてWeb開発
その場の思い付きを、ヒマをみつけてWebサイトにしてみるブログ

コピーコストゼロ時代のビジネスモデル

Sunday, 24 October 2010 10:13 by sabro

電子書籍も借り貸しできますー米Amazon【湯川】

Amazonの電子書籍ストアで購入した電子書籍を最長14日間は、友人の電子書籍リーダー機「kindle」や、iPhone、iPadなど向けの kindleアプリ上でも読めるようになるという。ただし貸出中は、自分のkindleでは貸出中の電子書籍は読めない状態になる。

ついに、電子書籍も貸し借り出来る時代になったようだ。だが、これはデジタルへの完全な移行ではない。電子書籍を貸すと、貸した側はその間、書籍が読めなくなるらしいが、これは本来なくてもいい制限だ。

デジタルデータは複製コストゼロであり、コピーしたものを友人の電子書籍リーダーへ送ってしまえば、自分のデータは残っているので読めるはずである。というか、この貸し借り機能自体、コピーしたものを送って、貸し手のリーダーはデータが残っているにも関わらず、ソフト的に閲覧できないような制限を掛けているだけなのだろう。

なぜそのようなメンドクサイ制限をワザワザかけるのか?それは、今が紙のデータから、デジタルデータへ移行する過渡期だからだ。まだまだ紙の本が主流であり、顧客側にも紙を使っていた習慣が残っているので、顧客側も受け入れることができるのである。

しかし、この制限がなくなるのも時間の問題であろう。生まれて、ものごころがついた時から、デジタルの書籍しかなかった世代は、デジタルの本を貸したら自分が読めなくなってしまうことに疑問を持つことになる。国民の大多数がそうなれば、制度も変わっていかざるをえない。

デジタルデータが当たり前になった時代は、買った書籍をみんなでシェアできないことにも疑問を持つかもしれない。コピーのコストがかからないなら、より多くの人が手に入れた方が、みんながハッピーになるじゃん!という考え方は、書籍の制作者を除いては、納得できてしまう。技術的に可能なことを制度でムリヤリ封じ込めるようなやり方は、長くは続かない。つまり・・・。

デジタルデータは遅かれ早かれ自由にコピーする時代が来る。それが必然である。

しかし、それでは制作者は食べていけない。制作者への還元がないのであれば、長く創作をつづけるモチベーションも湧かず、業界の先細りを招くだろう。そこで、本当にコピーがフリーになっても成り立つビジネスモデルを考えてみることにする。

まず、いろんなところで言われているとおり、編集、流通は基本的にはなくなるだろうと思う。特に存続させる利点もないと思うので、ここはなくなるしかないだろう。問題は実際にものを作っている制作者がどう利益を得るかだ。

コピーがフリーになると、結局は作品を1度世に出してしまった時点で、もうお金を得るチャンスはない。購入者が他の人にコピーさせてしまえば、作品は急激にシェアされていく。もちろんフリーでだ。こうなってしまっては、もうアウトである。

現在のモデル

ここで発想を転換してみよう。1度でも世に出すとアウトなら、出さなければいいのである。読み手からの要望が高まり、ある一定のお金が集まるまでは出さないようにするのだ。

将来のモデル

制作者の作品が読みたいユーザは、電子マネーを制作者に送り、次回作を出してくださいとお願いする。そのとき、「こんな作品が読みたいです」みたいな意見が送れてもいいかもしれない。世の中からのニーズが高まり、ある一定の金額が集まった時点で、制作者は初めて、ものを作り始める。ユーザからの意見を反映したり、ときにはあえて無視したりして作品ができたら、ダウンロード可能に設定する。ダウンロードされた作品はガンガン「シェア」されるが、お金はすでにもらった後なので、問題はない。

細かい問題はあるだろうが、上記のようなシステムをWebサイトとして作れば、うまく回りそうな気がする。

有名でない人はそもそもお金が集まらないのではないかという反論もあるだろう。その場合は、ある程度有名になるまでは、自由にダウンロードさせるという手が考えられる。ある意味「下積み」期間だ。今、デビュー目指して作品を書いてる人は、出版社の担当編集に作品を評価してもらっては没をくらい、作品を書いてもお金がもらえない生活をしているはずである。その評価する人が、担当編集から一般ユーザに変わったと思えばよい。むしろエンドユーザに評価してもらった方が、制作者としても納得がいくのではないだろうか。

とまあ、こういう妄想をしてみたわけだが、制作者がお金を要求した時点で人が離れて、無料公開している人の方へ流れていったりしそうな気もする。本当に成り立つかどうかは各自の判断におまかせである。

ここから追記。このモデルの、さらなる利点を思いついたので書いておく。

ずばり、その利点は「個人が好きなだけ支払ができること」だ。制作者が指定した金額に達すれば次回作が作ってもらえるわけだが、支払額に制限がないことがミソである。

現代は趣味・嗜好の多様化により、すべての国民が同じ作品を楽しむということが起きにくくなってしまった。つまり、より少ない顧客からなんとか食べていけるだけのお金を頂いていかないとならないわけだ。これはかなり難しいことのように思われるが、個人の支払額を固定しないことで、うまくいく可能性がある。

実は、今までの商品で個人支払額が均一だったのは、流通小売の事情だったりする。販売員は、買いに来た客がそのコンテンツをどれくらい欲しいのか知りようがないので、メチャクチャ欲しい客だから高い料金を取ったり、たいしていらない客に安値で売りますよというような手法を取ることができなかった。その結果、そんなに欲しくないかもというお客に対して、すごく欲しい客と同じ料金を要求することになった。

支払額可変

しかし、本来コンテンツの価値は相対的なものであるはずである。あるコンテンツはAさんに取っては、生活費を削ってでも欲しいものだったとしても、Bさんにとっては、定価の2割の値段なら読んでもよいくらいの価値かもしれない。

支払額可変

払う額を各自で決めることにすると、制作者のファンで次回作がメチャクチャ読みたいAさんから現在の定価の何倍もの支払いをしてもらえる可能性がある。全国民が楽しむような作品でなくても、少数のコアなファンを獲得すれば制作者が食べていけるようになるのだ。

今、コアなゲーマーでなくても遊べるソーシャルゲームや、人間なら必ず持っている性欲の部分に重点を置いたキャラ萌えアニメみたいなコンテンツが世の中に溢れている。それはなるべく多くの顧客に興味を持ってもらうためだ。しかし、それらはあまりにもユーザ層を広げることに気を取られすぎ、本当にコンテンツが好きなコアな層が楽しめる「エッジ」を削ぎ落としてしまった。その原因は、すべての客の支払単価が同じことにある。

支払額を固定しなければ、高額を払ってくれるコアなファンを獲得するため「エッジ」の効いた作品を輩出する制作者も増えるだろう。ゲーム性は低いがマーケティング力で売ってるソーシャルゲームに、プロが魂を込めて作った一般受けはしないが面白いゲームが勝つ。そういうクリエイター冥利につきる世界が来る可能性があるのではないだろうか。